自己紹介その3〜違和感〜

どうも、motoです。

自衛隊編の続編です。

それではどうぞ。

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自衛隊に入隊し、数年が経過しました。

私は、22歳の頃、新隊員育成の任務を任されました。

前回の記事で書いたように、

自衛隊入隊当初は、自衛隊の基礎を3か月間みっちり教育されます。

 

入隊してからずっと、物を教わる立場でした。

なので、自分にもできるのか不安でしたがそんなことを思う暇もなく

さっそく新隊員が入隊してきました。

私は、副班長という立場で新隊員育成をしました。

私の上には班長がいて、自分の班員の教育の補佐をします。

3か月の教育がスタートしました。

 

新隊員と言っても、当時の私から見るとたった4年下の後輩です。

班長という立場ではありましたが、単なる『班員』としてみるのではなく

『かわいい後輩たち』という目線でも見ていました。

 

教育がスタートして、数ヶ月が経った頃、ある事件が起こりました。

それは、長期休暇が明けた翌日の話です。

みんな、新隊員ということもあり、まだ高校生ノリの抜けない部分がありました。

なんとなく訓練に集中できていなかったり、時間に遅れてきたり。

そういう場面が多々見られたのです。

それを見ていた班長たちがこう言いました。

『今日、やるぞ』

処刑スタートです。

確か、その時は、銃の射撃訓練をしていました。

 

ある班長が、みんなの前に立ち、静かにこう言いました。

『お前ら、休暇明けでなまっている。時間に遅れたり、集中力が全然足りない。』

『これから、ハイポートをする』

 

ハイポートとは、銃を持った姿勢のまま走ることなのですが、

銃の重さは約4、3kgと結構な重さです。

当時5月のGW明けの時期で、なかなかの炎天下でした。

そこからエンドレスのハイポート訓練がスタートしました。

全員を整列させ、地獄がスタートします。

自衛隊は、ハイポートをして、隊列を組み、号令をかけて走ることが決まっています。

 

『1、1、1、2!!』

『そーれ!!!』

『1、1、1、2!!』

『そーれ!!!』

『歩調〜!数え!』

『1、2、3、4、1、2、3、4!!』

 

こんな感じで号令に合わせ、全員で走ります。

客観的に見ると、すごい迫力ですが、やってる本人たちからすると地獄なわけです。

そんなわけでエンドレスハイポートがスタートしました。

走っている間も、怒号が飛び交います。

『おいお前ら、休暇明けでなまってんじゃねーのかー!!』

『銃をちゃんと保持しろ!下向くな!』

『おい。もっと声出るんじゃねーのか!』

『おい、もっと腹のそこから声出せや!勝手に限界決めてんじゃねーぞてめーら!』

 

もう、日常ではまず出てこないであろう罵詈雑言が次々と飛び交います。

炎天下の中、駐屯地内をこの調子で駆け回ります。

私は、客観的に周囲を見ていました。

こういう訓練をするのはいいのですが、それよりも1番大事なのが

安全管理です。

走っている間に、転んで怪我をしたり、銃を落として壊してしまったりしたら

訓練をさせている教官側の責任になります。

そのあたりの配慮も十分にしながら、新隊員全員に鞭を打ちます。

 

ふと、列の中心辺りに目を向けると、顔が真っ青な隊員がいました。

私は、『やばい!』と思い、そいつを戦線離脱させました。

外の連れ出すと、過呼吸を起こし、体中が痙攣していました。

すぐに仰向けに寝かせ、水筒の水を顔にかけて、ベルトを緩め、テッパチ(ヘルメット)を取らせ、靴を脱がせ、日陰のある場所に連れて行きました。

 

これで、大丈夫かな?と思って、ふと顔を見ると

その子は汗だくになって、涙を流し、泣いていました。

『すいません。すいません。』

と言って、泣いて悔しがっていたのです。

私は、その光景を見てこう思いました。

『果たして、こんなことをして何になるのだろうか?』と。

 

自分が入隊した頃は、初めての経験だったので、

『まあ、これが自衛隊だよな』くらいにしか思っていませんでした。

しかし年月を重ねるごとに、

自衛隊の古い風習に違和感を感じるようになっていたのです。

教育訓練では、その古い風習がもろに出てきます。

はっきり言うと、あんな暴言や罵詈雑言でまくしたてるようなことをしても

あまり意味はありません。

集団生活を無理やりさせたり、丸坊主を強制させたり、変な処刑をさせたり、

門限があったり、

そんなことをして、立派な社会人になれるのだろうか?

と疑問だったのです。

そこから私は、自衛隊という組織自体に違和感を感じるようになりました。

 

それから数年が経ち、私は、昇進試験を受けるために面接の練習をしていました。

面接では、いろんなことを聞かれます。

自衛隊に入った動機は?』『自分の長所、短所は?』『試験に合格したらどんなことがしたい?』『部隊に貢献できることは何かある?』『あなたの特技は?』

 

深く自分を掘り下げていくと、ほとんどの質問にうまく答えられない自分がいました。

自衛隊に入った理由は、そもそも専門学校の勉強がしたくなかったからで。

自分の長所も短所も別によくわからない。

試験に合格しても別にやりたいことなんてないし。

部隊に貢献したいと思ったことがなかったし。

特技は柔道だけど、自衛隊ではそれを生かす場所がない。

 

面接の練習をすればするほどこう思いました。

『あれ?そもそも何がしたかったんだっけ?』

 

自分のことを掘り下げていくうちに

自分の人生についても振り返るようになりました。

同年代の友人たちが結婚をして、家族を築いて行きました。

周囲からは結婚を勧められました。

いつも仲良くしていた人との関係も薄れていきました。

自然に、一人でいる時間が長くなりました。

そこで私は毎日こんなことを考えていました。

『ここにいて、何の意味があるのだろうか?』

『ここにいて正解なのだろうか?』

『自分は何がしたいのだろうか?』

自衛隊を辞めたら何をすればいいのだろうか?』

一人で、悶々と考える時間が増えていき、

何をしていてもこの違和感が消えずにいました。

何をしていても集中ができず、仕事でのミスも増えてきました。

周りに相談をすることはしませんでした。

何となく、この違和感を話しても理解されないと思ったからです。

 

当時は毎日ストレスを抱えていて、常に暴飲暴食を繰り返していました。

朝起きても疲れが取れず、仕事をしても集中ができない。

謎のイライラや、突然襲ってくる不安に一人苦しんでいました。

何となく人に対しても雑な対応だったり、仕事も雑になってきました。

うまく進まない自分の人生に腹が立っていて、何をしていても気分が晴れませんでした。

次第にストレスは大きくなります

 

『こんなストレスがあるのは今の仕事のせいだ』

『誰も俺のことなんてわかってくれない』

『仕事がうまくいかないのはあの人のせいだ』

自衛隊になんて入るんじゃなかった』

『いやだ、辛い、やめたい』

『逃げたい、もういやだ』

 

徐々に拡大する、ネガティブな感情が

自分でも制御することができなくなってきました。

精神状態がおかしくなれば、体の状態もおかしくなります。

寝ても疲れが取れない、イライラする、常にお腹が痛い、全身の倦怠感、動悸、息切れ、夜中に目が覚める、ぼーっとする、、、

 

いつの間にか、私の心と体はボロボロになっていたのです。

 

つづく。