自己紹介その1〜生い立ち〜

どうも、motoです。

今日は自己紹介をします。

私は、1985年2月10日生まれです。

4人家族の末っ子として生まれすくすくと成長しました。

 

幼いころはスポーツに夢中で、毎日走り回っていました。

母親譲りの明るい性格で、友達もたくさんいて、いつも話の中心にいるような

いわば、ムードメーカー的存在だったと思います。

 

父親の転勤の都合で、計6回ほど引越しをしました。

特に、小学校低学年のころは、父親も転勤が多く、

2〜3年周期で引越しをしていました。

そのおかげか、環境の変化には強い方だと思います。

 

小学校の頃は足が速かったので、リレーのアンカーをしていました。

小学生2年くらいの頃、同級生の中ではダントツで速かったので、

よく6年生の先輩と短距離走の勝負をしていました。

年上の男の子と走っても、ほぼ負けなかったのですが

唯一勝てなかった人がいました。

 

当時、町内会対抗のリレーメンバーの選考会の時の話です。

私は、割と足が速くて有名だったので、上級生の選考会に混じって

走っていました。

スタート位置に立ち、よーい、どん!の瞬間から

『うわ!速い!』と衝撃を受けたのです。

走り出して2、3秒後には、5馬身差くらいの差をつけられて

完敗したのです。

今まで、誰と走ってもほぼ負けたことがなかったので、その時の記憶は

今でも鮮明に残っています。

 

中学生の頃は、柔道部に入部しました。

もともと、サッカーとかバスケをしていて、足も速い方だったので、

周りからは陸上部を勧められました。

走るのは好きでしたが、なんとなく中学生になったら違うことがしたいと

思っていました。

いろんな部活を見学していると、見たことのない光景を目にしたのです。

なんだか、暑苦しい室内で、顔を真っ赤にして組み合っている人たちが

いたのです。

 

それが、柔道部でした。

 

見たことのない光景に興味が湧いた私は、すぐに見学に行きました。

しかし、見ていても、一体何をしているのかもよくわからない。

柔道のルールも知らなかったのですが、その日にいろんな技を教えてもらい

楽しかったことを覚えています。

当時の柔道部は、弱小チームでした。

練習をしても、やる気のない人ばかりで、適当に練習をしている人や、

練習を途中で辞めて、帰る人もたくさんいました。

まず、顧問の先生が柔道未経験者で、練習を見に来ません。笑

そもそも、柔道初心者の集まりなので、練習に対するモチベーションも低く

やる気のある人は誰一人としていませんでした。

まあ、私もみんなのやる気のなさに流されて、部活をサボる日もあったと思います。

そんな環境だったので、試合に出ても勝てるわけがありません。

結局、中学生最後の大会では、地区2回戦負けというしょぼい結果で幕を閉じました。

 

中学を卒業して、工業高校に入学しました。

引き続き、柔道をしようか、違うことをしてみようかと色々悩んでいました。

でもなんとなく、中学時代のあの情けない地区2回戦負けの自分を超えたいと思うようになり

引き続き柔道部に入部することを決めました。

 

私の高校は、工業高校でした。

ラグビー部がとても強い学校で、全国大会に毎年出場しているような

スポーツにとても力を入れている学校でした。

ラグビー部の他にも、ウェイトリフティング部や、アーチェリー部や、

レスリング部や、野球部などもとても強い学校でした。

中学時代にはあまり見たこともないような、筋肉ムキムキの

ガタイのいいおっかない先輩がたくさんいました。

なんだか、突然異世界に来たような感覚で、

新鮮な気持ちだったことを覚えています。

 

高校では、中学時代の雪辱を晴らすべく、毎日厳しい練習をしました。

学校まで自転車で猛スピードで通い、朝練で自主的に筋トレをしたり

休みの日にも録画してあった柔道の試合を繰り返し見て研究したり

柔道に関する本を買って何度も読み返したり、

練習では、誰よりも前に出て汗を流しました。

体格も中学時代とは比べものにならないほどムキムキになり

筋肉もかなりつきました。

そんな頑張りの甲斐もあってか、

高校最後の夏の県大会では、個人戦73kg級で決勝まで上り詰め

準優勝の成果を残すことができました。

この成果は、自分でも予測できないものでしたが、ちゃんと目標を持って

頑張れば、結果はちゃんと付いてくることを高校時代に学んだような気がします。

 

高校時代に県大会準優勝の成果を出すことができたので、

大学からの推薦もありました。

大学に進学して、柔道を続けることも考えたのですが、家庭の金銭的な理由から、

大学進学は諦めました。

 

高校卒業後は、何をするか全く決めていませんでした。

 

高校3年間で完全に柔道バカに染まった私は、勉強はそこそこにして

柔道ばかりに夢中でした。そのため、成績はあまり良い方ではなく、

むしろ最後尾から数えた方が早いくらいの位置にいました。笑

全然、文武両道できませんでした。

そのため、将来について考えることなんてなかったし、

ただ何となく、生きていました。

そんな私を見かねてか、親は公務員を進めてきました。

単純な私はこう思いました。

『公務員なら、柔道を生かせる仕事に就くことができるかもしれないし、

公務員って、なんかかっこいい!』

ということで、早速公務員になるために、地元の専門学校に通うことになりました。

 

結論から言うと、専門学校に入学して、わずか半年で、陸上自衛隊への入隊が決まりました。

専門学校に行ったはいいものの、全く勉強をしたことがなかった私には

公務員試験に向けて、ひたすら勉強することがあまりにも過酷に感じたのです。

勉強、勉強、勉強、勉強、テスト、テスト、テスト、テスト

の繰り返しは、私にとっては地獄のようにも感じたのです。

ずっと、体育会系バリバリだった私にとっては、

頭を使った作業が苦痛以外の何物でもなかったのです。

『うわー、テストはもうやめてくれー』

と毎日思っていました。

そして、ある決断をしました。

こんなことをやり続けるくらいなら、さっさと仕事を見つけて働いてしまった方がマシだ!

と思った単細胞な私は、中途採用募集の自衛隊を受験し、なんとか合格することができたのです。

そんなこんなで、18歳の頃、陸上自衛隊への入隊が決まりました。

 

その当時私は、岩手県に住んでいました。

試験合格後、自衛隊からの案内届けを見ると

宮城県多賀城市で、仕事がスタートするようだったので、

単身で、宮城県に引っ越しをしました。

 

ここから10年間の自衛隊生活がスタートしました。