最近変わってきた3つの事

どうもmotoです。

 

まもなく今年も終わりですね。

どんな一年だったでしょうか?

私は、個人的には変化のある一年でした。まだ、なにかを成し遂げた訳ではないですが、色んなことを勉強できた一年だったなぁと思います。今受講しているオンラインコミュニティ(入会3ヶ月目)では、非常に内容の濃い事ばかりを勉強しています。

初めは何のことを話しているのか理解不能だったのですが、赤ちゃんが言葉を覚えていくような感じで、徐々にではありますが、いろんな知識が身についてきました。そもそも、文章は前から書いてはいましたが、今のようにこんなツラツラと書くことができませんでした。

もちろん、今も、書いては消して、消しては書いての繰り返しですが、以前よりも文章に厚みが出てきたし、内容のある文章が書けるようになってきました。

別に強制ではないのですが、個人的にメルマガに毎日返信をするようになりました。初めは、コミュニティで教わっていることを理解すら出来ませんでした。

だから、「なにが分からないのかも分からない状態」で、返信すらできないのです。笑

しかし、徐々に知識が身につくようになり、理解が追いついて来るようになりました。

しかし、返信は出来るのですが、

「教わったことをさらに変換して人に伝える」という事がどれだけ難しいことなのかを自分で痛感しました。

返信するだけでも労力がいるのに、更にその高度な情報を分かりやすく、噛み砕いて伝える作業とゆうのは、なかなか大変です。

しかし、難しいけどやりがいがあります。来年はそこにエネルギーを注いで行きたいなと考えています。

私が勉強をすることで変化してきたことは大きく3つあります。

 

1.感情がブレなくなった。

これは、今まで生きてきた中であまり体験した事がありませんでしたが、全く感情がブレなくなりました。講座の中で、セルフモチベートの方法なども教えてもらうのですが、この方法を使うことにより今まで一喜一憂で疲れていた心が嘘のように揺れなくなったのです。

嫌なことがあってもリセットが出来るので、ほとんど嫌なことを引きづりません。

感情が揺れなくなると、日常のあれやこれやにいちいち心が持って行かれないので、精神的に非常に楽になりました。

 

2.人の心の背景が見えるようになった。

さまざまな視点から色んなことをブワーっと学ぶことにより、異常なほどに知能指数が上がった感覚があります。脳内のゲシュタルトが出来てきました。

前は、何かを説明されるときは1から10まで聞かないと納得が出来なかったのが、1か2くらいの少ない情報量さえあれば、ほとんど理解できるようになりました。例えば、人と会話をする時に、相手が少しだけ話しただけで、相手の考えている事がだいたいわかります。

その人の私生活や悩んでいることもあまり多くの事を聞かなくても、また目の前にいなくても理解できるようになりました。

3.自分の才能にうっすらと気づき始めた。

人の才能は、幼い頃の遊び方のなかに隠されていると言います。私は幼い頃、姉のピアノ教室に連れて行かれ遊んでいたそうなのです。

おかけでモノマネやカラオケが得意になり、話し方や雰囲気を真似るコツがわかるようになりました。これは少し言い換えると「感覚のコピー」です。全く自分と関係のない人の雰囲気や空気感を真似することで、自分にその人の要素を取り込む事ができるのです。

 

学び始めてからだいたい3ヶ月目くらいに突入しましたが、今のところの私自身の変化はこんな感じです。たった3ヶ月でこんな変化が起こるとはおもいもしませんでしたが、あと3ヶ月でどこまで自分が変化していくのか自分でも分からないし、楽しみです。

それでは今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました。

自己紹介その6〜次の道へ〜

どうも、motoです。
今回で自己紹介は最終話となります。
それではどうぞ。
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退職の決意ができた私は、思い切って上司にその旨を伝えました。
初めは反対をされましたが、何度も何度も面接を繰り返し、依願退職が決まりました。


自衛隊って、非常に仲間意識が強い組織です。
私のように10年くらいその場にいると、
退職する人はまずいません。
けっこういたのが、多額の借金を作り、突然逃げ出してそのまま退職する人や、精神状態が悪化してそのまま辞める人や、結婚して主婦業に専念するために辞める人などが多い印象でした。


大概、男性の場合は、
「何かやらかしたから辞める」みたいな風潮があったため、辞めるに辞めれない人がほとんどなのです。
まぁ、国家公務員という肩書を辞めた時点で失うわけですから、何か志がない限りそう簡単に辞める人は多くありません。


しかし、私は、そんな肩書いらないな。と思いました。

全て捨てて、ゼロから自分の人生を本当の意味で生きたいと思ったのです。
もちろん、心身ともにボロボロになり、続ける気力がなくなったのも理由の一つですが、
「ここにいても変われない」
そう直感的に感じていたのだと思います。


退職当日、職場のみんなが見送り会を開いてくれました。他の部隊の今まで関わった仲間もたくさん来てくれて花束ももらい、みんな笑顔で見送りをしてくれたのです。


最後に、私はこんな事を話しました。
「わざわざ、私のために見送り会を開いて下さりありがとうございました。
最後なので、少し話をします。


突然ですが、みなさん、死ぬのは怖いですか?


(…沈黙)


怖いですか?


怖いですか?


それは何故ですか?


なんでだと思いますか?


たぶん


知らないからです。


死んだことがないから怖いのです。


私は、次の道をよく知りません…。


正直、不安で仕方がないし、眠れない日も何度もありました。


だけど、もう決めました。


私は、自分の道を歩いていきます。


みなさんも、自分の人生を生き切ってください。


ここで経験した10年間は、私にとってかけがえのないものばかりです。


今後、またどこかで会うことがあれば一緒にお酒を飲みましょう。


今日はこのような機会をいただきまして、ありがとうございました。」


話す途中に声が詰まり、涙が溢れて来そうでしたが、最後にこんな事を話しました。
今になって、何故あんな話をしたのかはハッキリとは分かりませんが、当時の私は次の道に進む決意を死に例えました。


中には涙ぐんで話を聞いてくれた先輩方もいて、こちらも危なく泣きそうでしたが、グッと堪えました。


最後に敬礼の交換をしました。


「相互に敬礼!!」


「ありがとうございました!!!!」


誰よりもどでかい声で、挨拶をしました。


これにて、私の10年間の自衛隊生活を終わりとなりました。


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これで、自己紹介はおわりとなりますが、
また、続編を書くタイミングがあれば書いてみようと思います。
それでは自己紹介はこれで一旦終わります。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

嫌いな人が大好きになる方法について感じたこと

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(近所の紅葉)

どうも、 motoです。

自己紹介については、一旦お休みします。

あまりにも長い内容になってしまい、着地点を見失ってしまいました(笑)

いったん番外編として、

今回は別のことを書いてみようかなと思います。

私が、このブログを書くきっかけとなったのは、今所属しているオンラインコミュニティで覚えた事を発信していこうと思ったのがキッカケでした。

毎日くる超絶内容の濃い高度なメルマガに対して返信をしています。

 初めは何を言ってるのかさっぱり理解できなかったのですが、徐々に理解ができるようになりました。返信と言っても、なかなかな文字数を書いているので、これは、ブログに載せてしまったほうがみんなのためになるのでは?と思い、今日からチョコチョコと載せて行こうと思います。

合間に難しい専門用語みたいな言葉が出てきますが、分からない場合はコメントで質問等も受け付けておりますので、お気軽にコメント下さい。答えられる範囲で解説もしていきます。

それでは前置きがながくなってしまいましたので、どうぞご覧ください。

ちなみに、これは、コピーライティングのオンラインコミュニティのメルマガの返信文です。

それではどうぞ。

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新田さんこんにちは。東京都の佐藤です。

 

今回は『嫌いな人が大好きになる方法』でした。ずいぶん前からこの記事は気になっていたので『やっとこの回がきた!待ってました!』と思いました。それでは感想について書かせていただきます。
以前、新田さんのブログか音声で

『わずか数分で体を柔らかくする方法がある』という内容を知りました。

ようは、相手のストーリー(宇宙)を書き換えてしまえば思い込みが外れて体が柔らかくなってしまう。と言った内容でした。それに関して私は『いったい何をしたんだろう?』と、興味深々でした。新田さんは催眠術に関しても詳しいと聞いたことがあるので、

今回の『嫌いな人が大好きになる方法』は、自己催眠をかけて、相手を好きになるのかな?と、私は推測していました。

しかし、意外にも、そういうことはせず、そのままその人を好きになってしまう方法だったので自分としては意外でした。
前回の『系の外側』というキーワードと繋がっていて非常にストーリー性のある面白い方法だと思います。主人公マインドの話ともリンクしていて『相手をキャラと見立てる』のは、ユニークですね。
私も、どうしても好きになれない人がやはりいます。

それは、私自身がまだ、『自分の人生というストーリーに入りすぎてしまっている』ことが原因だと感じています。

人生を作り上げる神的視点がまだ構築されていないようなのでその辺の思考回路を作っていくのがこれからの課題だなあと感じています。

系の外側から人生を面白くする視点があれば、いやな出来事とかも面白く物語の旨味として使えそうですね。日常的にその視点を鍛えていこうと思います。

私は、新田さんの教材を購入したのは、これで2つめです。全く聞いたことのない斬新な手法ばかりで毎回驚いていますが共通して言えるのは『視点の置き方』にあると感じています。
このネクジェネの他には、NEXTDIMENSIONのオンライン講座に入会しています。どちらも共通して、見立てを使っており視野を広げ、捉え方を再定義し、エネルギーを統合させ次元を上げて人生のステージを上げていく考え方は私にとってとても斬新で、無駄がない方法だと感じています。
小手先のテクニックではなく、本質の話をしているので自然と応用力が身につき、ついでに文章力も上がってしまい、話し方も上手くなってきました。
最近、人にこの講座やネクディメで覚えたことを話しています。みんなあまり聞いたことのない話を面白がって聞いてくれます。小手先ではないので、あらゆる人の相談に乗れるし、何しろ、人の役に立てている気がして嬉しいです。
自分なりにインプットとアウトプットをかなり繰り返しているので知識を応用できるようになってきました。

情報密度が上がってきたのか、あまり外部の影響も受けにくくなり感情の乱れも以前とは比べものにならないほど減りました。人に対しても的確なアドバイスができるようになり全体像を把握するようになってから脳のゲシュタルトが形成されてきた感じがします。新田さんの文章を読んでいるだけで、ストーリー性のある文章が徐々にではありますが書けるようになってきました。
雰囲気を掴んだり、全体像を把握することって今まであまりしてこなかったのですが、最近になってその凄さがわかるようになってきました。それに加えて、神話の法則の話や、主人公マインドの話なども盛り込んで教えてもらえるので、もはや鬼に金棒状態だなと感じています。
私は、以前から、独学で、文章を書いていました。しかし、今になって、過去の自分の文章を読んでみると非常になんというかもの足りない感じのものばかりで読み応えのないものばかりだと感じました。それにひきかえ、今は、コピーライティングの基礎体力がついてきたのか力強い文章表現力と、文章の厚みが出てきたような気がします。
個人的にブログを書いていますが、友人に読んでもらうと『面白かった!しかも文章力上がってる!すごい!』と感想をもらえるようになりました。この力が身についたのは、メルマガの返信を繰り返したことによって自然と身についてきました。小さなことの積み重ねがここまで大きな力に変わっていくのはとても自分としても面白いし、今後もますます鍛えていきたい部分だと感じています。ストーリーライティングと呼べるほどの腕前にはまだまだ程遠いですが今後も地道にインプットとアウトプットを繰り返してパワーアップしていこうと思います。
それでは今日はこの辺で。最後までお読みいただきありがとうございました。

=============ここまで==============

多分、途中から読むと理解できない内容もあるかと思いますが、わからないことは気軽に質問してみて下さい。コメントもどしどしお待ちしております。

それでは今日はこの辺で。

引き続き、自己紹介も書いていきますので、お暇があればご覧下さい。

最後までお読みいただきありがとうございました。

自己紹介その5〜決意〜

どうも、motoです。

それでは続きをどうぞ。

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入隊して、9年ほどが経過しました。

当時私は、27歳でした。

精神的に不安定な時期が続き、体調が悪化していました。常に頭がぼーっとしていて、全身がダルい。なんとなく目が乾いたり、動悸や息切れがするのです。

特に、仕事や、嫌なことを考える不安になったり、イライラするようになってきました。当時の私は、健康に関する知識などなかったので、何もわかりませんでした。常に体が重く、何をするにも億劫でした。

朝起きると、気分が重く、仕事のことを考えると動悸が始まります。そして、呼吸が苦しくなるのです。何をどうすればいいのかわからず、ただ一人苦しんでいたことを覚えています。

数年後、整体を学ぶようになり、心と体の関係性について知ることになります。

これは単なる食べ過ぎで、消化不良を起こしボーッとしているだけで、消化にエネルギーを使い過ぎていたのです。お酒と食事の量を減らし、精神的なバランスを取る方法をこの時知っていればこんな症状は起きなかったはずです。

今考えてみると、「健康に関する知識がないだけ」と結論出来ますが、当時は健康や、心理状態に関する知識などなかったのでただ辛かった事を覚えています。この数年後、「知識の重要性」について、深く知ることになるのですが。

とにかく、辞めたい、逃げたい頭の中は、そんなことばかりです。

 いつも、こんな事ばかり考えていました。

『今から辞めて何をすればいい?』『自衛隊しか知らない自分が民間企業で仕事できるのか?』『今さら辞めたいなんて言ったら、みんなからなんて言われるだろう』「どうせ、バカにされるに決まってる」『誰に、なんて、どう相談すればいい?』

こんな思考が四六時中頭の中を駆け巡ります。何をどうしたらいいのかわからず、ただ、途方に暮れていました。

 何か答えが欲しかった私は、休日には本屋に頻繁に通うようになりました。心理学とか、起業とか、カウンセリングとか、哲学など

今まで本を読んだ経験がなかったので、パラパラとめくる程度でしたが何となく自分に合いそうな内容の本をいつも探していました。

『仕事を辞めたいけど、何をすればいいんだろう?』『何か手がかりはないだろうか?』『この言葉にできない不安をどうにかできないだろうか?』

結局何も手がかりは掴めず、悶々とする日々がさらに続きました。

 それから月日が経ち入隊して、10年目になりました。後輩もたくさんできて、仕事もたくさん任されるようになりました。一見、順調のように見えるのですが、やはり、まだ心の中に『掴み所のない違和感』がありました。

いつからか、職場の人と話をしていても、つまらないなと感じるようになりました。

仕事に対する不満や愚痴、昨日の飲み会のバカ話、パチンコの話とか、嫁の愚痴とか、誰かの悪口ばかりが常に聞こえてきます。数年前までは、私もそんな話で盛り上がっていましたが、次第に話すのがうんざりするようになり、だんだん話が噛み合わなくなってきました。このあたりから違和感はさらに拡大していきます。

 

私には、よく通っていた古着屋がありました。仙台では有名なヴィンテージ古着を扱うお店で、服が好きな私は、休日になるとよく通っていました。

そこのオーナーさんは、独特の世界観を持っていました。

見た目はかなりイカツイ強面の人ですが、仲良くなればとても良くしてくれました。その人からは、いろんな話を聞かせて貰いました。

アメリカ買い付け話、ローズボウルでの出来事、ヴィンテージ 古着の着こなし方、古着の魅力、仕入れの話、ブーツやデニムの話、若い頃のヤンチャだった話、開業した頃の苦労話、仕事の楽しさ、古着に対する熱い想い、家族との話、未来の話

その人の話を聞いていると、とても仕事を楽しんでいるのが伝わってきました。

自衛隊には絶対いないであろう独特の人間性、独特の世界観や、考え方。

そして、なにより仕事に対する熱い情熱を持っていました。なにより古着を愛していて、楽しそうにいろんな話をしてくれました。

「ああ、好きな事を仕事にするっていいな」と思うようになりました。その頃からうっすらと「起業という道もあるのか」と考えるようになりました。

そのオーナーさんは、元々ホテルマンとして働いていたそうです。20歳の頃に古着の魅力に取り憑かれ、この業界に飛び込んだと話していました。初めは誰からも理解されずに苦しんだと話していました。

「いまだに家族からは理解されないし、バカにされる事もある。その度に何クソ!って思うけど、逆にそれがモチベーションになってる。好きなことを仕事にするのは辛い事も多いけど、"生きてるって実感できる"のが幸せだね。仕事の事考えるとワクワクすんのさ。」と話します。

仕事のことを考えると、動悸がする私にとっては信じられない事実でした。なにより仕事が楽しいなんて思ったことがなかったし、いつも考えている事といえば職場に対する不満や、将来への不安ばかりでした。

なにから何まで違うオーナーに憧れを抱き、服を買うことの他に、その人と話すためにお店に通っていました。私は当時、とても悩んでいたので、お店の人に話を聞いてもらったり相談に乗ってもらう事もありました。

ある日、こんなことを聞かれました。

店員『ずっと自衛隊を続けるの?』

自分『いや、ちょっと辞めたいと思ってて・・・』

店員『なんで?』

自分『もう、いろんな事が嫌で。何というか組織にしがみついていたくなくて。なんで自衛隊に入ったかって聞かれたら元を辿れば親のススメにただ乗っかっただけで、今まで生きてきて自分がやりたいことをしてきませんでした。だんだん違和感が強くなってきて、もう、ここにいれないと思ってます。」

 その人からすると、ただ何となく聞いただけだったかもしれません。

その瞬間、何故か分からないけど、声が詰まりました。

張り詰めていた何かが緩み、突然涙が止まらなくなりました。必死に押さえ込んでいた感情が抑えられなくなり、口元が震えてきました。店の中で号泣してしまいそうだったので、顔を押さえ、慌てて店を出ました。外に出ても涙が止まらず、自分でもどうしたらいいのか分からなくなっていました。

その後自衛隊を辞めることになるのですが。おそらく、この時がハッキリと辞める決意ができた瞬間だったと思います。

 

つづく
 

 

 

 

自己紹介その4〜思い出〜

どうも、motoです。

それでは続きです。どうぞ。

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自衛隊に関する、辛い面ばかり話してきましたが

もちろん楽しいこともたくさんありました。

 

訓練の一環で、山に数週間こもることがあります。

そこでの生活は天幕(自衛隊用テント)での生活になります。

夜はみんなで集まって毎日バーベキューをしました。

夜の山奥は、季節を問わずとても冷え込みますが、みんなとお酒を飲みながら

澄んだ空気の中で語り合うのは最高の時間でした。

 

訓練の他にも、年に1度の楽しみがありました。

私は、高校時代に柔道をしていたので、駐屯地の柔道部にも入りました。

年に1度だけ、部員全員で集まって柔道の練習をして汗を流しました。

あまり練習時間の確保はできませんでしたが、年に1度大会に出て、

訓練以外のことをして集まれるのが私の中ではとてもたのしいひと時でした。

私が20歳の頃、3人制の団体戦に出場して、

なんと全国2位の成果を収めたこともあります。

2位と言っても周りの先輩方が恐ろしく強い人たちだったので

たまたま出ていた私も運良く全国大会の決勝戦を経験することができました。

私の戦績は5試合中全敗と、情けない結果でしたが、

今になってみればとてもいい経験でした。

 

休日には仲間と飲みに行くことも多かったです。

当時住んでいた仙台で、仲の良いメンバーと毎週のように

どんちゃん騒ぎしていたことは今になってみれば

遠く昔の青春時代のようにも感じます。

夏には手ぶらで行ける川沿いのバーベキュー場に

仲の良いメンツで集まって

川に飛び込んだり、何の意味もなく、ただただ笑い合い、

バカの仕合をしてゲラゲラ笑っているだけでしたが、

その瞬間瞬間が今になってみるととても大切な時間だったと気づきます。

 

次第に仲間がどんどん結婚をして家族を築いていきました。

すると、一人の時間が増え、一人で考える時間が増えていきました。

当時は、これといって趣味もなかったので、いろんなところにいってました。

 

よく行っていたのはBarです。

 

特に何をするでもなく、フラッと一人でBarに行っていました。

カウンター越しにマスターと話すのが、

何となくオシャレでカッコよく感じたのもありますが、

お店によって異なる世界観を感じるのも好きでした。

特に印象に残っているのが、ネットで調べて行ったお店です。

暗がりのビルの5階にひっそりと佇むお店はドアを開けた瞬間、

異空間に感じました。

オーケストラなのか、何なのかああまり聞いたことのない音楽が流れていて

哀愁漂う雰囲気の50代くらいのマスターが軽くニコッと微笑み

出迎えてくれました。

空気感なのか、何なのか、仙台の街中にはない不思議な空気を感じました。

お酒の味が絶品で、グラスの差し出し方も無駄がなく、スッと出してきます。

ボソボソっと話すだけなのですが、特に何もしなくても心地がいい不思議な空間でした。

特に大した話をしてるわけでもないのに、

こちらが勝手にいい気分になってしまうのです。

別に沈黙になっても、何ともないのです。

私は、当時仕事のことでとても悩んでいました。

結構人見知りする方なので、初対面の人にあれこれ話をする方ではありません。

ですが『この人なら聞いてくれるかもしれない』と思い、

気づいたら、あれやこれやと話していました。

マスターは、ただ、うなづき、話を聞いてくれました。

そして、アドバイスも何もしてこないのですが

とても気分が楽になったのを覚えています。

 

仕事では、重要な任務を任されるようにもなりました。

ある程度、現場での経験もあったので、後輩を引き連れて、

現場の指揮をとることもありました。

教わる側から教える立場になり、

責任のある仕事をすることも多かったです。

教わる立場の頃は、ただ言われたことをしていればよかったですが

教える立場になると、そうもいきません。

『どうやったら、後輩が動くのか?』

『どうしたら、いい関係を築けるか?』

『どうしたら良い後輩が育つのか?』

厳しいだけでもダメなので、時には励ましてあげたり、

あえて突き放してみたり、時には背中を押してあげたり、

酒を飲んで語りあったりもしました。

 

こう振り返ってみると、一番楽しかったのは

人との関わり合いだったなと感じています。

たくさんの人と関わり合う中で、いろんなことを考えたり、悩んだりしました。

しかし、そこで、自分を成長させてくれたのは、たくさんの人でした。

先輩や上司から教わることも多かったですが、

後輩や部下に、逆に教わることもたくさんありました。

 

10年間の自衛隊生活の中で、

私が一番得たものは

『人とのつながりあい』でした。

 

つづく

 

 

 

 

 

自己紹介その3〜違和感〜

どうも、motoです。

自衛隊編の続編です。

それではどうぞ。

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自衛隊に入隊し、数年が経過しました。

私は、22歳の頃、新隊員育成の任務を任されました。

前回の記事で書いたように、

自衛隊入隊当初は、自衛隊の基礎を3か月間みっちり教育されます。

 

入隊してからずっと、物を教わる立場でした。

なので、自分にもできるのか不安でしたがそんなことを思う暇もなく

さっそく新隊員が入隊してきました。

私は、副班長という立場で新隊員育成をしました。

私の上には班長がいて、自分の班員の教育の補佐をします。

3か月の教育がスタートしました。

 

新隊員と言っても、当時の私から見るとたった4年下の後輩です。

班長という立場ではありましたが、単なる『班員』としてみるのではなく

『かわいい後輩たち』という目線でも見ていました。

 

教育がスタートして、数ヶ月が経った頃、ある事件が起こりました。

それは、長期休暇が明けた翌日の話です。

みんな、新隊員ということもあり、まだ高校生ノリの抜けない部分がありました。

なんとなく訓練に集中できていなかったり、時間に遅れてきたり。

そういう場面が多々見られたのです。

それを見ていた班長たちがこう言いました。

『今日、やるぞ』

処刑スタートです。

確か、その時は、銃の射撃訓練をしていました。

 

ある班長が、みんなの前に立ち、静かにこう言いました。

『お前ら、休暇明けでなまっている。時間に遅れたり、集中力が全然足りない。』

『これから、ハイポートをする』

 

ハイポートとは、銃を持った姿勢のまま走ることなのですが、

銃の重さは約4、3kgと結構な重さです。

当時5月のGW明けの時期で、なかなかの炎天下でした。

そこからエンドレスのハイポート訓練がスタートしました。

全員を整列させ、地獄がスタートします。

自衛隊は、ハイポートをして、隊列を組み、号令をかけて走ることが決まっています。

 

『1、1、1、2!!』

『そーれ!!!』

『1、1、1、2!!』

『そーれ!!!』

『歩調〜!数え!』

『1、2、3、4、1、2、3、4!!』

 

こんな感じで号令に合わせ、全員で走ります。

客観的に見ると、すごい迫力ですが、やってる本人たちからすると地獄なわけです。

そんなわけでエンドレスハイポートがスタートしました。

走っている間も、怒号が飛び交います。

『おいお前ら、休暇明けでなまってんじゃねーのかー!!』

『銃をちゃんと保持しろ!下向くな!』

『おい。もっと声出るんじゃねーのか!』

『おい、もっと腹のそこから声出せや!勝手に限界決めてんじゃねーぞてめーら!』

 

もう、日常ではまず出てこないであろう罵詈雑言が次々と飛び交います。

炎天下の中、駐屯地内をこの調子で駆け回ります。

私は、客観的に周囲を見ていました。

こういう訓練をするのはいいのですが、それよりも1番大事なのが

安全管理です。

走っている間に、転んで怪我をしたり、銃を落として壊してしまったりしたら

訓練をさせている教官側の責任になります。

そのあたりの配慮も十分にしながら、新隊員全員に鞭を打ちます。

 

ふと、列の中心辺りに目を向けると、顔が真っ青な隊員がいました。

私は、『やばい!』と思い、そいつを戦線離脱させました。

外の連れ出すと、過呼吸を起こし、体中が痙攣していました。

すぐに仰向けに寝かせ、水筒の水を顔にかけて、ベルトを緩め、テッパチ(ヘルメット)を取らせ、靴を脱がせ、日陰のある場所に連れて行きました。

 

これで、大丈夫かな?と思って、ふと顔を見ると

その子は汗だくになって、涙を流し、泣いていました。

『すいません。すいません。』

と言って、泣いて悔しがっていたのです。

私は、その光景を見てこう思いました。

『果たして、こんなことをして何になるのだろうか?』と。

 

自分が入隊した頃は、初めての経験だったので、

『まあ、これが自衛隊だよな』くらいにしか思っていませんでした。

しかし年月を重ねるごとに、

自衛隊の古い風習に違和感を感じるようになっていたのです。

教育訓練では、その古い風習がもろに出てきます。

はっきり言うと、あんな暴言や罵詈雑言でまくしたてるようなことをしても

あまり意味はありません。

集団生活を無理やりさせたり、丸坊主を強制させたり、変な処刑をさせたり、

門限があったり、

そんなことをして、立派な社会人になれるのだろうか?

と疑問だったのです。

そこから私は、自衛隊という組織自体に違和感を感じるようになりました。

 

それから数年が経ち、私は、昇進試験を受けるために面接の練習をしていました。

面接では、いろんなことを聞かれます。

自衛隊に入った動機は?』『自分の長所、短所は?』『試験に合格したらどんなことがしたい?』『部隊に貢献できることは何かある?』『あなたの特技は?』

 

深く自分を掘り下げていくと、ほとんどの質問にうまく答えられない自分がいました。

自衛隊に入った理由は、そもそも専門学校の勉強がしたくなかったからで。

自分の長所も短所も別によくわからない。

試験に合格しても別にやりたいことなんてないし。

部隊に貢献したいと思ったことがなかったし。

特技は柔道だけど、自衛隊ではそれを生かす場所がない。

 

面接の練習をすればするほどこう思いました。

『あれ?そもそも何がしたかったんだっけ?』

 

自分のことを掘り下げていくうちに

自分の人生についても振り返るようになりました。

同年代の友人たちが結婚をして、家族を築いて行きました。

周囲からは結婚を勧められました。

いつも仲良くしていた人との関係も薄れていきました。

自然に、一人でいる時間が長くなりました。

そこで私は毎日こんなことを考えていました。

『ここにいて、何の意味があるのだろうか?』

『ここにいて正解なのだろうか?』

『自分は何がしたいのだろうか?』

自衛隊を辞めたら何をすればいいのだろうか?』

一人で、悶々と考える時間が増えていき、

何をしていてもこの違和感が消えずにいました。

何をしていても集中ができず、仕事でのミスも増えてきました。

周りに相談をすることはしませんでした。

何となく、この違和感を話しても理解されないと思ったからです。

 

当時は毎日ストレスを抱えていて、常に暴飲暴食を繰り返していました。

朝起きても疲れが取れず、仕事をしても集中ができない。

謎のイライラや、突然襲ってくる不安に一人苦しんでいました。

何となく人に対しても雑な対応だったり、仕事も雑になってきました。

うまく進まない自分の人生に腹が立っていて、何をしていても気分が晴れませんでした。

次第にストレスは大きくなります

 

『こんなストレスがあるのは今の仕事のせいだ』

『誰も俺のことなんてわかってくれない』

『仕事がうまくいかないのはあの人のせいだ』

自衛隊になんて入るんじゃなかった』

『いやだ、辛い、やめたい』

『逃げたい、もういやだ』

 

徐々に拡大する、ネガティブな感情が

自分でも制御することができなくなってきました。

精神状態がおかしくなれば、体の状態もおかしくなります。

寝ても疲れが取れない、イライラする、常にお腹が痛い、全身の倦怠感、動悸、息切れ、夜中に目が覚める、ぼーっとする、、、

 

いつの間にか、私の心と体はボロボロになっていたのです。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介その2〜自衛隊入隊〜

どうも、motoです。

 

ブログの更新が遅くなりました。

今日は自衛隊に入隊してからの話を書いていこうと思います。

それではどうぞ。

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私は18歳の頃に、陸上自衛隊に入隊しました。

親戚や、友人には自衛隊経験者はいなかったので、

かなり不安だったことを覚えています。

そもそも何をするのかがわからないし、

自衛隊に関する情報が何もわからなかったのです。

 

入隊前はこんなことを考えていました。

『いきなり戦争に行かされたらどうしよう』

『先輩にいじめられたらどうしよう』

『きつい訓練ばかりやらされるのかな』

『そもそも集団生活苦手なんだけど大丈夫なのかな』

『みんなについていけるだろうか』

何しろ社会人1発目の就職が、陸上自衛隊だったので、

かなりの不安を抱きながら、

入隊初日を待っていました。

そして、入隊初日。

私は、自衛隊の門を叩きました。

 

当然、その日に入隊するのは私一人だけではないので、

これから一緒に生活をする同期との出会いもありました。

 

私が入隊したのは冬も近づく10月末でした。

総員30名ほどの同期がここに集結し、

3か月間の教育を共にします。

私たちは全員まとめて『新隊員』と呼ばれます。

 

新隊員は自衛隊の1番下っ端で、全員頭は丸坊主(強制笑)

駐屯地(自衛隊の敷地)で会う先輩方には

必ず立ち止まって『お疲れ様です!』と元気に挨拶をしなければいけません。

教官からの指示には『はい!』馬鹿でかい声で返事をします。

駐屯地内では、歩くことは禁止で(傘も禁止)

『3歩以上駆け足』と、教わります。

要は、『駐屯地内は走って移動』という意味です。 

これだけ聞くと『ふーんそうなんだ』と思いますが

これがなかなかキツイ訳です。

 

走って移動なので、

ご飯を食べた直後だろうが、風呂に入った直後だろうが

走って移動のみです。

朝起きた瞬間からも走って移動です。

それをサボれば処刑されます。

 

走っていない新隊員が1人でも

先輩や上司や教官に見つかったら怒られます。

1人でも見つかったら『連帯責任だ!』と言われ、

30人全員で『腕立て伏せの刑』に処されます。

『今日、駐屯地内で、走っていない新隊員がいたと聞いた。

はじめに言った通り、連帯責任だ』

と恐怖のお告げをされ

『腕立て伏せよーい!』

『1!2!』

とタイミングを全員で合わせて腕立て伏せの姿勢をとります。

すると

『タイミングが合ってない!その場に立て!!』

と立ち上がります。

 

『タイミング合わせろ!いいか!』

『は、はい・・』

『わかったのか?わかったら返事しろーーーー!!!!』

『はああい!!!』

駐屯地中に新隊員の掛け声が響き渡ります。

そこからエンドレスの腕立て伏せが始まります。

『おるあーー!!

てめーら回数数えろーー!!

その場に立て!!』

全員バラバラに立ち上がると

『全員揃って立てーーー!!』

と、怒鳴られます。

そしてまた腕立て伏せ。

『腕立て伏せよーい』

『1!2!』

と姿勢をとり、腕立て伏せが始まります。

 

前には新隊員と一緒に腕立てをする教官が一人います。

無限に腕立て伏せができる化け物なので

中にはへばる仲間もいました。

そして周りには他の教官が怒号を鳴り響きます。

『オラーこんなんでへばってんじゃねーぞー!』

『1人のミスが全員に影響するんだよ。わかってんのかー』

『おい、膝ついてんじゃねーぞ!最後までやれー!』

『おい!やる気あんのか!

へばってんのか!てめーら返事もできねーのかあ!!返事はどうしたあ!!』

『はああああああああい!!』

と全員で叫びながら腕立て伏せをします。

腕立て祭りです。

もはやギャグです。

しかもエンドレスです。

 

駐屯地には隊員食堂、隊員浴場、戦闘訓練場、射撃場などがあります。

はじめに『3歩以上駆け足』と言われた通り、走って移動するのですが

駐屯地の敷地は馬鹿でかく広いので、移動するだけでバテます。

しかし、こうやって自然に体力がついていくのです。

 

と、何やら騒がしい印象もありますが、落ち着いて訓練をする場面もあります。

はじめにやった訓練は、『基本教練』というものでした。

右向け右、左向け左、敬礼、列の整頓、日夕点呼の要領、銃の操作方法、銃の分解結合などを学びました。

教官の号令に従ってその動作を行います。

自衛隊には、『号令』というものがあり、

各部隊の長が号令をかけ、その号令に従って、部隊は行動をします。

 

他には、

自衛隊隊舎の清掃方法、戦闘服のアイロンがけ、靴磨き、部屋の整理整頓などもやります。

掃除は、毎日廊下をほうきで清掃をして、

そのあとモップがけをして、そのあとポリッシャーをかけます。

毎日廊下はビカビカです。

民間企業の清掃業者顔負けの清掃を毎日、仕事が終わったあとに全員でやります。

担当の場所のゴミも全部回収したり、朝のゴミ出しも全部新隊員の仕事です。

新隊員の重要な仕事は、主に『雑用』なのです。

他の会社などではありえないほどの雑用を徹底的にやりました。

 

『体育』もやりました。

訓練で、結構走り回ったりして疲れているのに

上下青のクソダサいジャージに着替え、

紅白帽をかぶり、全員で自衛隊の敷地内を走ります。

完全に見世物で、完全に囚人です。笑

はたから見るとかなり異様な光景なのですが、

人間慣れてしまうもので、

はじめはクソダサく見えた

上下青のクソ囚人ジャージがだんだん似合うようになってきます。

そして、紅白帽をかぶっても逆に凛々しく見えてきます。

1周3kmほどのコースを走り、汗を流し、1日が終わります。

 

はじめは、ついていくのだけで必死でしたが、

徐々に仲間とも打ち解けていきます。

体力がついてくると訓練が全く辛く感じなくなり

余裕しゃくしゃくでこなすようになります。

徐々に、高校時代の部活みたいなノリに変わっていきました。

 

自衛隊に入隊したての頃は、とにかく徹底的に体を鍛えます。

1か月に1回、『体力検定』というものがありました。

今現在の、体力の測定を行い、3か月目にはどのくらい体力が上がっているのかを測定するのです。

 

体力検定の種目は、

腹筋(3分間)

腕立て伏せ(3分間)

懸垂

ソフトボール投げ

幅跳び

持久走(3km)

です。

 

私は、体力には自信があったので、自信満々でした。

しかし、1か月目は、かなり体力が落ちていたこともあり、

かなりきつかったことを覚えています。

筋トレ部門が得意だったのですが

1か月目は、腕立て伏せ60回、腹筋70回くらいの記録でした。

『100回くらい余裕でできるぜ!』と余裕をぶっこいていましたが、このざまでした。

しかし、日々の厳しい訓練を乗り越え

3か月目には、腕立て伏せ100回、腹筋100回まで記録は伸びていました。

相当なマッチョマンでした。

 

入隊3か月目の頃には、高校時代の体力を取り戻していて、

かなり筋肉もついていました。

自衛隊は、体育会系のノリが強いため、一緒にいた同期も

だんだんエネルギッシュに変わっていきました。

みんなが逞しくなっていくのも見ていて楽しかったことを覚えています。

ほぼ全員が筋肉バキバキのムキムキです(笑)

 

イメージで行ったら『海猿』みたいなノリです。

 

そんなこんなであっという間に月日は過ぎていきました。

 

はじめは、不安を抱いて入隊した自衛隊でしたが、

厳しい訓練を一緒に乗り越えていくにつれ、

仲間との絆も自然と強くなりました。

はじめの3か月もあっという間に終わりを迎えました。

 

そんなこんなで、教育期間が終わりを迎え、

一般部隊への配置が決まりました。

 

 

つづく